教員採用試験をアラサーまで受けつづけてつらかったこと
自分も何年も講師を続け、アラサーまでやってきたわけだけどやっぱり精神的に辛かった。
永遠に受け続けないといけないのではないかという不安
毎年春から夏にかけて必ず採用試験があり、もうほんといいよという気持ちになった。試験に関しても筆記・面接・論文・模擬授業など様々な内容の総合で決められる。
いまは大体試験結果が開示されているので自分がどれくらいできたのか、どの分野が及ばなかったのかを確認できる。
しかし、評価の配分の多くが面接や模擬授業の方に重きをおいているので正直何が悪かったかがわかりにくい。 さらに教育現場である学校でも評価されるような”よい”先生というのがまばらである。できるのはなるべく情熱を見せ、元気なところをアピールすることだ。
さらに、そのような不明瞭な採用基準(面接なのでそれ自体が完全に悪いこととは思わない。)であることから毎回試験に落ちるとかなり傷つく。教師とは人間的に模範的に行動できるようではならない。や、教師に求められるものは人間力だ。など、ぼやっとしたものだ。 そのために毎回落ちることで人格を否定されているような気になる。
これは教職希望でない人も、就活で感じるところだと思う。 それが教員採用では何年も、下手をすると何十年も続くことになる。
そして、試験を受け続けている間も講師として普通の教員と全く同じ内容の職務をこなさないといけない。
みんなも自分が生徒の時、職員室を覗いてどの先生が正採用で、どの先生が講師なのかはわからなかったと思う。 基本的に職務は同じなのである。
更に採用人数の少ない教科希望の場合そもそも採用試験自体がない場合も多い。
毎年仕事があるかがわからない
講師という仕事は基本的に1年契約だ。次の年もその学校で働けるかはわからない。もし、次の年も同じ学校で働けるとしてもちゃんと3月の最終日でいったん首をきられる。で、4月1日は無職になる。 その後2日にまた1年の契約である。
これは働く場所によって変わるのだが、ひどいところでは3月の最終週まで来年働ける場所があるかわからない。 どこか転勤になるのはしょうがないとしても、仕事があるかどうかわからないのは異常だ。
一人暮らしをしている場合、こんな不安定な生活を何年も続けることはむずかしい。ましてや結婚なんてできるはずがない。
転勤も頻繁にある。 講師の勤務先というのは、まず新任として採用された先生の勤務先が決まってから決められる。よって、本当に新学期ぎりぎりで言い渡される。勤務先などどこになるかわからない。生活がかかっているため、言われたところに行くしかなく、引っ越しが必要な場合は悲惨である。学校においてあるものの整理だけでも大変なのにもかかわらず、家の整理もしないといけないことになる。
気になるお金のはなし
上で述べたように講師という仕事は基本的に1年契約だ。4月1日は無職になる。その後2日にまた1年の契約である。
なぜこのように一日だけ不自然に空白の期間があるのかというと勤勉手当(ボーナス)の関係がある。勤勉手当は連続でどれだけ働いたかによって額が決まる。つまり4月1日を空けることによって6月のボーナスが2ヶ月働いた分しかでないのである。 同じ学校で働き、むしろ4月1日も部活指導のため学校に来ていてもボーナスは減る。
このようにして少ない予算を講師の人件費をケチることで節減している。
更に昇給の頭打ちがある。
周りの友人からの目がツラい
アラサー位になると周りの一般企業に務めている友人はそれなりのポジションを得ている。何人かで集まって飲んだ時など仕事の話はつらい。 毎年遠慮がちに正採用になれたか聞かれるはたとえ相手が気を使ってくれていたとしても沈んだ気持ちになる。
さらに何年か働き、仕事が落ち着いてきて、お金がたまってきたこともありココらへんでみんな一斉に結婚しだす。
そのような安定も、金銭的余裕も(ただでさえ多くはないと言われている公務員で更にボーナス一回分少ないので常にかつかつである)ないのでますます惨めになる。
もちろんこのような生活が続けられず、他の仕事についた人も何人も見てきた。
そんな中でもやはりみんな真面目なので仕事に手を抜かず、毎年毎年試験を受け続けている。