アラサーだってさー

教育関係のお仕事をしているアラサーだってさー

叱り方

トピック「叱り方」について

 

センセーはまだ独身だ。子どももいない。

けれど、教育に携わる仕事をしているから子どもを叱る経験は同世代では多いほうだと思う。センセーは本当に叱るのが苦手で、もっと言うと叱った後の人間関係の築き方が苦手。自分の子どもができると叱り方も変わってくるのか少し楽しみでもあったりする。

 

本当に先生の仕事は叱ることがいっぱいだ。全く叱らないのはダメで、しっかり叱りってしっかり褒める。センセーがもっている自分なりのイメージは、1叱って1褒めてそれでやっと子どもにとって「プラス1」。どれだけ褒めるポイントが溜まっても、どれだけ叱るポイントが溜まってもそれは子どもの中にはプラスになっていない気がする。

どっちもやってやっとプラス1。

 

で、なんども何度も叱っていると精神的に摩耗してきて先生の仕事ってなんだったっけ? 自分って何がしたくて先生になったんだったっけ? ってよくおちいります。

 

そもそも、教師の仕事に求められるものは多い。

1人の保護者からたくさん求められることもあるし、いろんな保護者から少しずつ違うことを求められることもある。

勉強をしっかり教えてほしいと思っている人もいるし、勉強なんてどうでもいいからしつけをしっかりしてほしいと思っているもいる。とにかくいい大学にいれてくれという人もいるし、人間的なガッツをつけてくれという人もいた。自分たちでは手におえないのでしっかり叱ってくれと願っている保護者も高校位になると大勢いる。

 

 

あまり知られていない(?)が、実は教師の仕事は法律で決まっている。

教育憲法という別名を持つ教育の分野でもっとも大切な法律が教育基本法だ。

実は、そこにはっきりと教師の仕事は「人格の完成」を目指すようと書かれている。(これカッコうめでテストに出た〜)

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 

つまり、勉強とか部活とかしつけなどは、結局この人格の形成を実現するための手段でしかない。

極端に言うと生徒の人格さえ形成されれば勉強を用いても、部活を用いてもいいわけだ。 極端に言うとだけど。

 

これはでもいろいろ難しくて、やっぱり先生にも得意・不得意があるし、その生徒さんの正確や状況にもよる。もっと言うとその生徒さんの発達段階にもよる。勉強を手段としたほうがいい場面もあるし、部活のほうがいい場面もある。

 

一方がダメでこっちがいいではなく、いろんな機会をこちらが用意しておき、いろんな状況にある子どもに幅広く対応していけるのが一番いいのだけれど、やっぱり人それぞれ自分が思う方法が一番だと思い込んでしまう。 叱り方もこれが絶対にいいというものはなく、とにかくその子どもをしっかり見て、いろんな叱り方を模索していかないといけない。

 

目的は一緒だけど、方法はいろいろあっていい。 だからいろんな先生のもっているいろんな考え方が職員室でぶつかって、椅子の座り心地が少し悪く立って、それはそれで悪いことではないのだと思う。

 

 

叱られる力 聞く力 2 (文春新書)

 

叱り方が上手い人は優秀だと思うけど、叱られ方がうまい人はどこに行ってもすごい可愛がられるよー

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