エロの力を舐めんなよ
別の記事を書こうと思ってたけど、とにかくこれを言いたくて差し替えてしまった。
はてなブックマークで次の記事が上がっていた。
昔であれば、性的な情報への抜け道がいくつもあったが、情報化社会の今、逆にアクセス手段を簡単に断てるようになってしまった。
そのような、青少年健全育成とそれに伴う、その基準に合うような大人、親たちの加減のない子ども達への性的な情報の遮断によって、子ども達のセックスへの忌諱観が醸成されていった。
それは違う。
断じて違うとセンセーは言いたい。
人を突き動かす一番大きな理由である3大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)の一つを教育なんかで抑えることはできない。
インターネットのフィルタリングなど性欲の前では無力だ。
いくら寝ることは時間の無駄だ、食べることははしたないと教えこんだところで、食欲や睡眠欲がなくなったり弱くなったりしないのと同じことなのに性欲だけ特別扱いされてない?
国語辞典のエロワードさえあれば、ご飯3杯はいけるんだよ。
そうだよ。 あの日、新聞に入っていた女性用下着のチラシを必死にスクラップしていたのはセンセーだよ。 なんとか深夜番組を見るために親に寝たように見せかけて、こっそり起きだし音量ほぼ0でテレビにかじりついていたのもやっぱりセンセーだよ。
「フィルタリング 回避」でググれば恐ろしいくらい詳細に抜け道が示されている。
エロこそが純粋な助け合いを築く。エロの前に人類はひとつになるんだ。
教育が変わったから「ゆとり」が増えたとか、健全育成教育の成果で性欲抑えられてるとか。教育はそんな力を持ってないよ。人の根本や性質を変えることはできないよ。
学校はいろんな生きていくための力・手段をつけれるように訓練するのを手伝うが、何がいいとか悪いとか価値判断の部分は子ども一人ひとりの中で自分で作っていくしかない。
道徳心が低下しているから学校で教えろとか、国を愛する心を学校で教えろとか、しつけを学校で教えろとか、よくありがちな意見だけど、そんな学校万能じゃないですから。できることは限られている。
(だからといってやらないわけじゃなくて、できないけれどなんとか頑張っていくってスタンス)
学校だろうが家庭だろうがやれることは一緒で、学校がいえばそれを聞くわけじゃない。家庭でいうことを聞かいない子どもが学校のこと聞くわけ無いでしょ。
話がそれたけど、とにかくエロの力を舐めんなよってセンセーの中のリトルホンダが叫んだから一気に書いてしまった。