やっぱり違う。
自分が学生のとき、たしか小学生5年くらいだったと思うけど、道徳の時間で障がいについて考える時間があった。
ノーマライゼーション的なことを扱った文章を読んで感想を書く授業だった。
たしかその文章は、障がいを持っている人も特別な目で見るのではなく、障がいを特別扱いするのではなくやっていきましょうというようなことだったと思う。
そのときの先生がどんな話をしたのかは忘れてしまった。けれど強く思ったのは
障がい者とよばれる人がいたときに、ぱっと外で見かけたとき「あ、他の人と違う」と思うことはいけないことなのだろうかということだ。
道徳の授業のとき強く感じたことだけど、世の中なんか、ちがうと思うこと自体がいけないことというふうになってはいないか?(それとも自分が勝手に思い込んでるだけ?)
そうじゃなくて違うから攻撃するとか 態度で示してしまうことがいけないのではないのか? ちがうと感じること自体は自然なことではないのか?
そんな思いが、当時ここまではっきりとはしないまでもあって、かなり悩みながらも感想文に
「やっぱり何か違う。」
と一文だけ書いた。
そのときの迷いは今でもリアルに思い出す。
学校では優等生で、道徳の時間でも求められている答えをばっちり書くような子だったので、自分でもこの書こうとしている感想は異質だと気付いていた。しかし、いつものように無難な答えを書くことができなかった。
なにかややこしいことから目を向けることばかりで、違いをしっかり見ないことは差別ではないのか。
違うと思うことは別によくて、そこからこういうことやこういう行動をとったら相手がきづつくのではないのかと相手を思いやることが大切なのではないか。
その言葉・その言動が差別かどうかは、その前後の会話や言葉の言い方で大きく変わってくるものであり、その一部だけを切り取り判断することはできないのではないのか 。
道徳の授業などは自分が教えている理科などと違って、明確な答えがない。
自分もこれまで道徳の授業をなんどか担当したが、いまだに自信を持って教えることができない。 常に自分が言っていることが正しいことなのか不安になってしまい、授業を見学してくれた先輩の先生からもっと自信を持って授業をした方がいいといわれてきた。 これからもっともっと機会を見つけていろんな人の話を聞いていきたいと思っている。